トランプ氏による非常識的政策への慣れ

21世紀の米国政治における特別な現象の一つは、トランプ大統領の登場である。彼の強硬かつ挑発的な発言や政策は、従来の民主主義的規範や国際協調の枠組みから逸脱するものとして、当初は国内外で大きな驚きをもって受け止められた。移民排斥、保護貿易主義、司法への干渉的言動、選挙結果の正当性への執拗な疑義の提起などは、民主政治の安定を揺るがす行為とみなされた。しかし時間が経過するにつれ、こうした非常識的な「逸脱」は次第に社会の中で織り込まれ、政治文化の一部として扱われる傾向が強まった。すなわち、驚きが常態化し、異常が日常に転化していった。この現象は、歴史的に1930年代ドイツにおけるヒトラーの台頭過程と似ているところが多い。

第一次世界大戦後のドイツは、ヴェルサイユ条約による過酷な賠償負担と世界恐慌による経済危機の中で深刻な社会的不安を抱えていた。その状況下でヒトラーは、民族主義的言説やユダヤ人排斥を通じて大衆の不満を吸収し、政治的支持を拡大した(トランプ政策のMAGAや不法移民排除に似ている)。当初は極端かつ危険な扇動と見られていた思想も、公共事業と軍備に重点を置いた積極財政による急速な景気回復と、反復的な宣伝活動と議会を通じた合法的な権力獲得を経て、徐々に社会的正当性を帯びた。結果として、民主的制度は崩れて全体主義体制が確立された。この過程は、異常を異常と認識する感覚が麻痺したことで実現したとみられており、現在までに多くの研究と制度改革がなされてきた。

米国の政治体制や社会的背景は1930年代ドイツとは大きく異なる。合衆国には三権分立を支える制度的枠組みや、多様な社会、自由な報道環境が存在する。しかし、トランプ現象が示したのは、米民主主義が「形式的制度」のみによって維持されるものではなく、市民の規範意識と批判精神に依存するという事実である。彼の繰り返される過激な言動や敵対勢力への恐喝がメディア報道を通じて日常的光景となり、次第に各社会組織内にトランプ氏を支持する人材を配置し、敵対勢力を排除。やがて選挙を通じて政治的正統性を帯びる姿は、ナチス期ドイツの「異常の常態化」と共通の過程を進んでいるようだ。

さらに注目すべきは、政治だけでなく制度の自己修復力にも限界が存在することである。裁判所や議会は形式的にはトランプ氏の過激な行動に対する歯止めをかけてきたが、慣例とされた最高裁判事の保守と革新との暗黙のバランスを破り、自らの息のかかった保守系判事を過半数とすることで司法を掌握した。これは米司法制度の脆弱性を示す。すなわち、制度が逸脱行為を抑制しきれないことに加え、逸脱が繰り返されることで市民がそれを受容し、司法が守るべき正義自体が揺らぐということである。

結論として、トランプ政策をめぐる社会の「慣れ」は、1930年代ドイツと同様に、民主主義の規範が徐々に麻痺する危険性を浮き彫りにしている。歴史的教訓が示すのは、全体主義は一挙に成立するのではなく、日常に潜む小さな逸脱の積み重ねによって実現するという点である。加えて初期段階での政策的成功も不可欠である。当初多くの経済学者がトランプ政策は失敗すると予想したが、貿易赤字削減はGDP成長に貢献し、移民排除は失業率の低位安定に寄与するなど経済指標的には成功している。今後、トランプ政策が危惧するほど全体主義へと走らなければ大きな問題とはならないかもしれないが、大統領の再選制限の変更や私設軍隊の政敵への派遣や迫害、報道規制など、全体主義的な動きが助長されるようであれば問題だ。現代社会において民主主義維持に必要なのは、制度的防波堤の強化のみならず、市民が「驚きを驚きとして保持する」批判的感受性を失わないことである。トランプ現象は、まさにこの二重の教訓を現代に投げかけているといえよう。

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